先月末の彼の誕生日も行ったけど、また彼の実家にお邪魔した。
うちでご飯を食べるのも、続くと飽きちゃうみたいだ。
急だったので、自分たちの食べたいものを適当に買って。
この前の誕生日の時は、お父さんは誰かに誘われたらしく
呑みに行っていて会えなかったんだけど、今回は早く帰ってきて会えた。
夕飯を食べ終えてからひとしきり姪っ子と遊んだ後、
彼とお父さんのお話に加わった。
お母さんはと言えば、お得意のコタツで一眠り。
風邪を引かないか心配だったんだけど、いつものように途中でむっくり起きだして、寝室へ行った。
「梨菜ちゃんも眠いでしょ〜みんなもういいかげんお開きにしなさいよ」って言い残して。
でも結局、明け方まで話してた。眠かったけど、お父さんも途中から呑み始めて(持病のため、本当はあまり呑んではいけないはずなんだけど)話が止まらなかった。
お父さんは、某有名な企業で長年働いて来た方なので、お仕事の話になると止まらない。普段聞けないようないろいろなお話が聞けるので、聞いてるだけでも面白い。
彼も自分の仕事の事で話があったみたいなんだけど、
話は、彼の子供の頃の話まで広がって、知らない事もたくさん聞けて面白かった。
お父さんは、
「こんなに息子と話せる日が来るとは思ってなかったよ。ずっと仕事ばかりでうちに居なかったし、高校くらいからはこいつもめちゃくちゃで、何度もうちを出てたし、うちに寄りつかなかったから。梨菜ちゃんの力はすごいんだよ。ほんとにありがとう」
と言うような話を二度も話した。
私自身は、私と会う前の彼の事は、話でしか聞いた事がなかったので、なんだか自分がそんな存在であると言う事が不思議で、実感がないんだけど、お父さんまでそういうなら、本当にそうなんだろうなと思った。でもやっぱり不思議。
未だに、元旦那の事は気がかりな部分はあるし
劇的に変化した生活が正しかったのか、時々考える事があるけど
やっぱり私はここに居ていいんだって思えた。
マニ車をいくら回しても足りないくらい後悔している事もたくさんあるけど、消えない過去はこれからも私にたくさんの戒めを示してくれるはず。
10代の頃、母に「後悔しないように生きたい」と言ったら、後悔も大切なものだよって言われた意味がなんとなくわかってきた気がする。
うちでご飯を食べるのも、続くと飽きちゃうみたいだ。
急だったので、自分たちの食べたいものを適当に買って。
この前の誕生日の時は、お父さんは誰かに誘われたらしく
呑みに行っていて会えなかったんだけど、今回は早く帰ってきて会えた。
夕飯を食べ終えてからひとしきり姪っ子と遊んだ後、
彼とお父さんのお話に加わった。
お母さんはと言えば、お得意のコタツで一眠り。
風邪を引かないか心配だったんだけど、いつものように途中でむっくり起きだして、寝室へ行った。
「梨菜ちゃんも眠いでしょ〜みんなもういいかげんお開きにしなさいよ」って言い残して。
でも結局、明け方まで話してた。眠かったけど、お父さんも途中から呑み始めて(持病のため、本当はあまり呑んではいけないはずなんだけど)話が止まらなかった。
お父さんは、某有名な企業で長年働いて来た方なので、お仕事の話になると止まらない。普段聞けないようないろいろなお話が聞けるので、聞いてるだけでも面白い。
彼も自分の仕事の事で話があったみたいなんだけど、
話は、彼の子供の頃の話まで広がって、知らない事もたくさん聞けて面白かった。
お父さんは、
「こんなに息子と話せる日が来るとは思ってなかったよ。ずっと仕事ばかりでうちに居なかったし、高校くらいからはこいつもめちゃくちゃで、何度もうちを出てたし、うちに寄りつかなかったから。梨菜ちゃんの力はすごいんだよ。ほんとにありがとう」
と言うような話を二度も話した。
私自身は、私と会う前の彼の事は、話でしか聞いた事がなかったので、なんだか自分がそんな存在であると言う事が不思議で、実感がないんだけど、お父さんまでそういうなら、本当にそうなんだろうなと思った。でもやっぱり不思議。
未だに、元旦那の事は気がかりな部分はあるし
劇的に変化した生活が正しかったのか、時々考える事があるけど
やっぱり私はここに居ていいんだって思えた。
マニ車をいくら回しても足りないくらい後悔している事もたくさんあるけど、消えない過去はこれからも私にたくさんの戒めを示してくれるはず。
10代の頃、母に「後悔しないように生きたい」と言ったら、後悔も大切なものだよって言われた意味がなんとなくわかってきた気がする。
コメント
ちょうどテレビで紹介されていて、
「うぉーこれ回したい!」と思っていたのでつい書いちゃいました。
信者でなくても回していいみたいなんで。
チベット、一度行ってみたいです。